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二階堂(にかいどう)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。 地名の由来は、源頼朝が奥州合戦後の凱旋の際、中尊寺大長寿院の二階堂を模して、当初に永福寺(二階堂)を建立したことに由来する。建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた(永福寺は応永12年(1405年)の後に廃絶)。 戦国時代には小坂郡二階堂郷となされ、豊臣秀吉の小田原征伐の際に当地を掌握しようとしていたことが、「豊臣秀吉禁制」の宛書に記されていることからわかる。 江戸時代に入り正保国絵図や元禄内国改定図では「二階堂村」一村として記されているが、いつの頃からか西御門、浄明寺、十二所が同じ大倉の谷に存在するとして「谷合(やつあい)四ケ村」と称された。 明治22年(1889年)の市町村制により東鎌倉村の大字、明治27年(1894年)に鎌倉町、昭和14年(1939年)から鎌倉市の大字となって現在に至る。小名として四ツ石小路、東御門、杉ケ谷、西ケ谷、亀ケ渕、向荏柄、稲葉越、熊野谷、杉本小路などの地名が残る。 == 寺社・旧跡 == *鎌倉宮 *荏柄天神社 *杉本寺 *覚園寺 *瑞泉寺 *永福寺跡 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二階堂 (鎌倉市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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